思い出の人

昔、訪問のパソコン講師をしていた時にとても印象深いお客様が2人いた。
どうしても思い出として書いておきたいと思った。

お二人とも昭和2年生まれ、年初めに生まれているので寅年の気質を多く持っていたように感じていた。それは私の母がやはり昭和2年2月生まれで、気が強く気性が激しいからだ。

私が仕事で最初にお会いした時はお二人とも70歳半ばだった、すでにだいぶ丸くなっていてその片鱗だけだったが、昔はすごかたんだろうなと思わせる話が次々と出るのであった。

お一人目、ノンちゃんと呼んでいた。
ノンちゃんはマンションに猫一匹と暮らしていた。お宅にパソコンを教えに行き始めたころ一人娘を亡くされて1年目くらいの時だった。千葉に住む弟さんが心配して「ボケ防止にパソコンでも始めろ」と買ってくれたそうで、自分でもやってみようと思ったそうだ。とても明るい方ですぐに打ち解けた、その育ちの良さとは裏腹の東京生まれのべらんめぇ口調で、自分を隠さないとっても元気なお姉さんって感じの印象だった。

亡くなった娘さんの話もしてくれた。淡々と「死んだものは仕方ない!それだけさ」その5年前にはご主人をガンで亡くされている。その話も「涙なんか出なかったよ、人間いつかは死ぬんだ。」と、私は「そうだね」と笑いながらうなずく。こんな風に身内の死を淡々と話す人を私は知らない。私も子供ころから死については特別なこととは思っていなかったからだ。

「みんな昨年娘を亡くしたことを知ると、すぐに可哀そうにって顔するんだよね、だから大丈夫ですよ。死んだもんのこをいつまで考えても仕方ないから。なんて言うと、え!って顔をして黙っちゃうんだよね。だから今は、ありがとうございますって言うようにしている。なんで皆そう思うのかね~」って、そして「わかる人にだけしか本当のことは言わないよ」って笑いながら「先生(私のことをそう呼ぶ)には本当のこと言えるからいいね。私達気が合うね」と、私もそれは感じていた、どこか似ていたのだ。

伺うのは3ヶ月に一度くらいのペースだった。いつからかお昼過ぎに行ってパソコンを少しして夕方から宴会をするようになった。つまみは私が高島屋で惣菜を買ってくる。ノンちゃんはいつも美味しいお酒を何種類か用意してくれる、私のパソコン講師としての料金は「仕事だからね」といつも少ない時間でも必ず何かしら勉強をして支払ってくれる。とっても律儀な人。甘えがないとも言える。

いつの間にか宴会の時間が長くなって、私は夜8時ころまでいることが常となった、そんな時間の共有がとても楽しかった。ノンちゃんも結構お酒を飲んで二人でほろ酔い気分で女子トーク炸裂。ここで書けない男女の営みのこともたくさん聞いた。全く自分を隠さない人だった。その時間私は沢山笑って、たくさん泣いた。そして亡くなるまでの3年間、ノンちゃんの愚痴はついに一度も聞くことはなかった。
 
でも、そんな気丈なノンちゃんが一度だけ涙が出たことがあると話してくれた。ご主人の時も娘さんの時も泣かなかったノンちゃんが、ご主人がガンでもう助からないと医者から言われたとき、病室で寝ているご主人を見て、「この人はもう自宅に帰れないんだな、と思ったら思わずかわいそうになって涙が出た」と、やさしさの片鱗を見た気がした。
 
彼女の死を知ったのは、最後に会ってからから半年後。なんどか電話しても出なかったので年賀状を送ったら、その返事が弟さんからで「姉はガンで亡くなりました」と。
6月に入院して、10月に逝ったそうです。5月の終わりに伺った直後でした。
「入院なんかしたら必ず連絡してね」と言うと「そうねーやだー」なんて笑ってたからその通りだと思った。本当にあっさりと向こうに逝ってしまった。私に涙はなかった。
今思えば私の魂がよみがえり始めたのは、彼女の影響が大きかったと思いだしている。

そしてもう一人はスミちゃん(心の中でそう呼んでいた)
大きな一軒家にやはり猫一匹と暮らしていた。自宅の前にアパートが二つあって、その家賃収入で暮らしていた。私が初めて伺ったときは世界一周船旅から帰ったばかりでその写真整理のためだった。これで南回り北回りなんとか回りで全部で3回行ってきたと話していた。

その3カ月に渡る船旅の中で今回はパソコン教室に通ったので、自宅でもパソコンを覚えるため私が呼ばれたわけだ。

そして、何度か行くうちにスミちゃんの不思議に出会うことになる。まず3か月の船旅の最中、隣家に預けた猫宛てに頻繁に手紙を書くことだ。宛名に猫の名前を〇〇様とウソのように書いてあるのを見せてもらった。

思わず笑ってしまったら「あら、猫だってちゃんとわかってるのよ」と「帰って来たときふくれっ面してるもの」とのこと。キッチンの庭側のサッシの上の小窓を自分で開けて、寝るときは自分の家、ご飯は隣の家に行くとのことだ。賢い猫である。

ある時、庭の芝生にうつぶせに寝そべっている写真を見せてくれた。「昔のうちの家族なの」と。そこには彼女の頭のすぐ先50cmくらいの所に2匹のタヌキがいた。

こんなこともあった、そんな庭の広い家だから夏はやぶ蚊も家の中に入ってくる。大きな蚊が私の腕に止まった。思わず叩こうとすると、「だめ!うちのお客さんだから」って怒られた。もちろん刺されました(笑)殺生の嫌いな人でした。

半年以上連絡がなく久しぶりに出かけると、心臓の調子が悪くて入院していた。とのこと、酸素が肺に十分とりいれられない状態になっていて、「1時間動いていると苦しくて2階で酸素ボンベの厄介だわ」と言いながらそれでも駅まで私を迎えに車を飛ばしてくる。

そうそう、駅までの車の送り迎えはいつもしてくれるのだか、この運転がすさまじい。細い曲がりくねった坂道をびゅんびゅん飛ばすのだ、対向車がすれ違いでもたもたしていると、「下手くそ!これだけ寄せてやってるんだから十分だろうに、早く来るんだ」なんてうそぶく。確かに上手い。車の武勇伝もいくつか聞いていた。

そんな心臓の病気を抱えたスミちゃんから久しぶりにまた電話があって伺ったら、「マチュピチュに行って来た」っていうじゃない。肺に酸素がいかないっていうのになんで?って驚いている私に「死ぬまでに一度行きたかったんだ」「大変だったんだから、酸素ボンベを飛行機に乗せる乗せないのでもめて」なんて笑ってる。ゆっくり登って見てきたと証拠写真のデジカメデータを見せながらいろいろ話してくれた。

そんなスミちゃんの違う一面を見たのが、偶然彼女と同じコントラクトブリッジに通っているという、やはりパソコンのお客さんに会った時だ。その聞きなれないコントラクトブリッジに年齢も近いし親しさもあいまって知っているか聞いてみた、思いもかけない反応が返ってきた。

「あー、元女優だったってあの人」明らかに、関わりたくないといった雰囲気

「あの人のところにも行ってるの」変な人よね、が明らかに語尾につきそうな言葉。

そうか、一般的にはかなり変わっているよねスミちゃん、私には何の違和感もない人だし、年の差も感じないのはノンちゃんと同じタイプだから、特に考えてもいなかったが、そのお客さんにそう言われてはじめて気づいた。

12歳年下と2度目の結婚から、更年期障害で男性拒否状態での離婚の話、不動産の仕事でバリバリ働いて今に至ってる話、姉とのいまだに残る確執「あのお姉さま、昔からそうなのよ。大っ嫌い」と話す子供のような顔。スミちゃんはほんとに天真爛漫無邪気で子供のような心の人だったと思い出す。
 
私は女優だった話は聞いていない。確かにその美しさと華やかさはあった人である。子供もいなく唯一の姉妹とも相容れず音信不通、はたから見たら孤独な老人に見えるだろうと思う。スミちゃんも一切愚痴を言わない人であった。

今思えばこのお二方が、私に多大な影響を与えたと思っている。彼女たちは自分自身を主張している。人にこびることなく自分を前面に押し出して私はこうなのと胸を張る。他人に一人暮らしの寂しいお年寄りと言われようと変人と言われようとかまわない、私は私なのであると臆せず堂々としているところが共通していた。

そのころの私は、自分の変人ぶりを隠して生きていた。人と違うことがいけないことのように感じながら生きていたのだ。そんな私に天の采配か?同じ時期に同じような方にお会いして、私の魂は揺さぶられ私は私であることに「良し」をもらえた気がしたのだった。そして、私もこんな風に生きて行きたいと思ったものである。

あれから10年、今自分自身を真っ直ぐに生きている私がいる。

本当にお二方に会えたことに心から感謝しています。
上から見ているかな~~~笑いながら二人で・・・
あ!スミちゃんはまだ元気かもしれない(^-^;