「変容日記」最終章

結局、退行催眠のあと一月ばかりアカシックへの探索に専念したのでした。

最初はスムーズでした。

道筋をつけていただいたので体に感覚が残っていて簡単に入れたのです。

しかし、一週間もすればそれも元の木阿弥、だんたんど繋がりにくくなり、

それ以降は鼻呼吸してサイキックアイを開く努力をしたり、瞑想したりと、

気付けばそのことに夢中になりすぎでいる自分を発見するに至るのです。

 

変容日記には、このあと1週間、アカシックへの執着の一部始終がつづられています。

3日目ころからだんだんと繋がりにくくなったアカシックに繋がるたび、

あいまいな情報に現実性を持たせようとする私の心の動きが見て取れます。

すでに純粋性は失われてしまっていました。

 

1ヶ月もすぎるころ、すでに飽きていたこともあって、収束に向かいましたが

今読んでも、あーずいぶんのめり込んでいたんだなーって思います。

 

でも、それがあったからこそ、どちらにも偏らない今の私の生き方があると感じます。

 

その時思ったのは、「私は霊能者ではない!」ってことでした。

俗にいわれる、生まれついての霊能者ではないってことです。

努力して頑張らなければ繋がれない私はどうなの?

それって、自然じゃないよね。なんか違うんじゃない?ってことです。

 

私には私にしかできない生き方があって、そっちの方が重要じゃん。って

 

目に見えない世界、まさしく肉眼で見えない世界、

そこは今でも、私の隣にあり、心の中にあります。

必要があれば今すぐにでもアカシックにも繋がれるし、オーラも見ることができます。

 

うそ~~~、ほんとですよーー必要と思えば・・・です。

だって、人間はもともと全ての人が、第三の目で見ることができていたんですからー、

 

文明の発展とともにその能力が退化しただけ、ないと思っているだけ、

そしてなにより、このわたしが見たんですから!(本人もびっくり)

 

先日、友人との話で、

「ねー、死ぬって怖くない?何にも見えなくなっちゃうしね」って聞かれました。

もちろん突然ではなく、前後の話はありますが・・・

 

私は

「うーん、あまり怖さは感じないかなー、今は昔より感じない」

「なぜって、現実じゃないところに行って、リアルに見てきたことあるから、

今ある肉体の目で見ない世界を見てしまっているから、

そこは肉体の目は必要がないのがわかっているからかなー・・・」

 

これです!これを感じることができたことが、この変容期での大きい成果でした。

 

死は必ず訪れるし、それは不幸とか怖いとかとは無縁の存在と思うのです。

いつから人は死を恐れるようになったのでしょうか?

本当に死は不幸なことで恐ろしいものなのでしょうか?

 

お暇なときにでも一度じっくり考えてみてください。

 

手っ取り早く、心の宇宙体験するなら、「瞑想」が、おすすめです。

同じ時間、同じ場所に楽に座って「頭からっぽ」にできる時間を毎日作ってみてください。

あなたの、肉眼で見ることのできない世界を感じ、見てください。

 

百聞は一見に如かずです。

 

それでは、変容日記これにて 完 といたします。ありがとうございました。

 

=生と死がおなじ喜びでありますように=

 

最後に、上の言葉、変容日記をネットサーバーに保存しておいた時の題名。

結局それに行きついたんですね。すでに題名を付けた時点で潜在意識は理解していた。

恐るべし、潜在意識・・・

「変容日記22」2009年03月09日 退行催眠

退行催眠を体験してきた。
目的は、私と親友との関係についてどうしても知りたかったからである。

まず、横になりつま先から呼吸をする気持ちで大きく呼吸をする
まず第一チャクラから呼吸をはじめ、第二チャクラ、第三チャクラと進む
第四チャクラで、マインドの部屋をイメージして窓をあけ呼吸をする。

私は、白い丸い部屋の中で大きな丸窓を作り開いて、青い空からたくさんのプラーナを吸った。

のどのチャクラでは大きく喉を開いてたくさんエネルギーを取り入れる感じ。

第六チャクラでは第三の目を開いて明るい光を見る。

そして最後に頭頂部のチャクラを開き光を頭上から取り入れる。

まず自分の好きな場所を思い浮かべる。

白い砂浜小さな入り江でエメラルドグリーンの遠浅な海が広がっている。
そこには白い大きな岩があって、私はそれにもたれて温かい砂の感触を味わう。
青い空に白い雲がゆったり流れ、鳥が一羽飛んでいる。涼やかな風が流れ波の快い音が聞こえる。

その場所を覚えるため、右ほほに人差し指

その砂浜に扉を一つ作る。ぐり彫り模様の枠の付いた白い開き戸を作った
私の見たい、知りたいイメージをふくらませてその扉を開けて、階段を3段降りそこから曼荼羅を見る。
その曼荼羅の中心に向かって進むそして、曼荼羅の目の中に入る。

最初に見えてきたのは一人草原にたたずむ青年、

 何が見える?
男の人が立っている

 いくつ位?
若い、20代くらいか

 どんな格好してるの
サンダルをはいてる、兵士みたいだ。足が見えている。ギリシャの戦士みたいな恰好

 剣と楯は持ってるの
持ってる

 何を思っている
おいて行かれた、仲間外れになった。一人ぼっちだ
(突然涙があふれ心が悲しみでいっぱいになり顔を覆って泣いた。しばらくしてその気持ちも少し治まってから)

 なぜ一人ぼっちなの
分からない・・・

 場面を先に進めて、さ、未来に進んで・・・何が見える
劇場だ

 ギリシャの劇場?
違う、室内、大きくない

 あなたはどこにいるの
えー・・・舞台のそで

 どんな格好してるの
長いローブのようなものを羽織ってる(長い杖を持っているようだ)

 何歳くらい
中年、たぶん40代くらいか・・・ひげを蓄えている、髪はウエーブがあって少し長め

 どんな内容
・・・分からない

 何を感じている、楽しいの
仕事だと思っている

 お客さんはどれくらい入っているの
半分くらい

 他に誰かいる
女の人がいる

 その人はどこに立ってるの
舞台の中央

 あなたはどこにいるの
ななめ左後ろに・・・
あ!、彼女だ!、見つけた!
(何とも言えない懐かしいような感じで涙があふれてきた)

 彼女を愛していたの
憧れていた。ただ見ていただけだ

 他に誰かいる
後ろに3人の兵士が立っている

 じゃ、あなたがその人生を終わる時に移って、どこにいる?
粗末なベットに寝ている

 何歳くらい
もう老人のようだ

 どんなふうに感じてる
心は穏やかだ、楽しかった昔を思いだしている

 誰かそばにいる、結婚は?
誰もいない、結婚はしなかった

 あなたは死が近いことを知ってるの
知っている

 命が終わる時何を思った
もう一度会いたいと
あーそうだったのか・・・(それで今世で彼女と長く一緒にいたのか)

 そうしたら少し上にあがって、その人生全てが見える位置に移動して
 全体を見渡して感じてみて
あーわかった、あの仲間外れになった時、私は若すぎた、連れて行ってもらえなかった

 何歳だったの
15だった、私は家に帰って畑仕事をした。そして・・・食えなくなったので町に出た・・・

そこで役者になった。彼女は貴族の出で・・・。身分が違いすぎた。

 彼を呼んでみて、どんな風
笑っている。(彼は微笑んでいた、あごひげを長く蓄え端正な顔立ち、背が高くすらっとした立ち姿。彼は満足しているようだ。私が今世で35年間彼女のそばで過ごしたことで、自分の心は満足したようだ。)

 あなたは素晴らしい役者だったと言ってあげて
分かってるって言ってる(思わず笑いがこみあげる)

 彼を祝福して光の中に送ってあげて
(彼は穏やかな表情でCDが輝きながら縦に収納されるように暗闇に吸い込まれた)

 そしたら今度は彼女を呼んで、そして現世の彼女も呼んでそして重ねて。

 胸のチャクラから光の帯がお互いを結んでいると思うけどそれを切るわよ。

 パチン・・・

 そしたら彼女を光の中に送ってあげて、 現世の彼女も同じようにね。

 これでもうあなたの中での過去の彼女は切り離されたわ

 今度は、そこにスクリーンを作って、真っ白な大きなスクリーン
 そこにあなたの未来が映るはずよ、見て、何が見える
絵を描いている、花の絵だ

 どんな気分
穏やかな気持ち 紫色のクロッカスだ

 紫色のクロッカスが見えるの
そう、(スクリーンの中の女性は花畑でスケッチブックに紫色のクロッカスの絵を描いていた、そして黄色のフリージアの絵もあった。穏やかな日差しの中で穏やかな気持ちでただひたすら描いている)

 この場所にすぐに来れるように何か目印を付けるわよ。なにがいい?
紫色のクロッカス

 (クスっとわらって)そう・・・紫色のクロッカスね
 じゃその感覚を覚えて。

 紫色のクロッカスがこの場所よ。
 
すべてが見える部屋の中心に紫のクロッカスのアンカーを置く

途中どうしてもおしっこが我慢できず、もうろうとしている中で「おしっこしたいかも」とつぶやいた、そしてyurikoさんがじゃ今いるところでアンカーして続きするわねと、目印をつけてくれた。起き上がろうとしたが身体が動かない手も足も痺れている。ただ寝ていただけなのに、やっと上体を起こし壁を伝いながらそろそろ歩きトイレに行った。帰ってきてからすぐ続きが始まった。

紫色のクロッカスの場所にすぐには入れなかったが、しばらくしてきたと思った。
OKのサインを出し続きを始めた。続きができるなんて不思議だ。

 それじゃ、直前の前世と、来世を見ることが出来るけどどちらがいい?
う~~~ん、来世にする

 それじゃ、意識を未来に向けて、あなたは今、今世の肉体から去ろうとしているわよ、

 そして先に進んで、何か見えてきた?
(なにも浮かんでこない・・・しばらくして砂漠のような台地が見えてきた。)
砂漠のようなところ・・・
遠くに山が見える・・・
左に湖が・・・
(景色がはっきりしてきて見憶えるある風景になってきた)
あっ!

 知っている場所?
チベットの風景似ている

 どんな気持ち
岩がごろごろしている場所を歩いている、彼は少年僧、
修行のために次の寺に向かっている。心は澄み切っている。

 さ、それじゃ彼が一番精神的に充実しているところに移って
骸骨が見える・・・
(見えているものが何故?と思いたくなる、思い違いかとも思いながら、しかし確かに見える、錦の布にくるまれた骸骨、その骸骨がどういった意味なのか理解できずその周りを見渡す。両側に木彫りのような仏像が並んでいる。小さな部屋だ。)

 それはあなた?
それが自分かそれを見ているのかわからない

 あなたはその骸骨だと思うわ
 どちらでも同じことよ。どんな感じ。
静か・・・

古い寺の奥に眠る高僧の骸骨、それが私の来世、又は最初の記憶?
生まれ変わらなくてもよかったのに、どうしても生まれ変わって経験したかったのね。とyurikoさんがつぶやく。

それから、私の今世での魂の目的を探ることになった。

そして自分の生まれる前の魂の場所に入った。

 何か見える?
なにも

 どんなことを思ってる?生まれたらどうしようと思ってる?
ずっと考えていた。何か感じようと思っていた。しかし今までと違って何も感じないし何も思い描けない。しばらくして私は何も感じない。と答えた。

 ただ女性を経験したいために生まれようと思ったのね。

 それなら後ろを振り返って。
 たくさんのサポートの守護霊さんがいらっしゃるわね、何人見える。
5人くらい。

 その中の代表の方一人前に出てもらって。
 どんな方。
年をとったお坊さんみたいだ。日本人じゃない

 アジア人
そう、日本人じゃない、着ているものが違う

 その方に何か聞きたい。
う~~~~~ん(ずいぶん考えて)とくにない

 じゃ、伝えたいことがあるか聞いてみて。
好きにすればって言ってる

 (ちょっと笑って)そんな風に言ってるの。
思うまま生きればいい。って
私の言葉は届いている。って
気づいていないだけだ。って

 そう、伝わっているのね。あなたが現実として気付かないだけなのね。
 その方の目を見て
・・・え!・・・緑?

 アーー、青か緑かと思ったけど・・・
 緑色ならマスターかもしれないわね。マスターの目は緑のことが多いの。
 こんどまたお会いする時の目印を何か教えてもらって。
 ほほが暖かくなるとか、掌が熱くなるとか。
ふふ・・・首筋をなでるって言ってる。

 そう、首筋。霊気が入るところね。
そして、お礼を言って別れた。

あー、来世で覚醒するのに女性を経験する必要があったんだ。と感じた

そこで退行催眠は終わり、徐々に正常に戻り起き上った。
どうして楽しく面白いこともたくさんあったのに涙が出るの?と聞くと

「それは良い兆候よ。4、5日止まらないかもしれない。心が解放されたから」

そして、yurikoさんに

「あなたは、直前の前世6,7回くらいずっと男として生まれているみたいよ。だから女を経験したかったみたい。それが今世での目的でカルマはあなたはないみたいね。これからどんどん葛藤を手放してゆける人よ。そして自分でアカシックを旅するのはそう遠くないと思う。

あなたはそうなるわ。
それと、あの骸骨はやっぱりあなただと感じるわ。それがあなたの最終の心のあり方だと感じるの。静か、と言っていたでしょ。今世を楽しんで!」

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大野百合子さんは、そのころ「退行催眠」のセッションをされていて、昔の逗子のご自宅にお伺いして、ゆったりと2時間かけて退行催眠やっていただきました。

120分のカセットテープを持って行くと録音してくれることになっていました。

なんだなが買い忘れて、昔のB’zのカセットテープを持って行って、上書き録音でいいや!

って思ったんですが・・・後で聞いたら、

音楽と言葉が同時に聞こえてほとんどささやき声になっていて、意味不明でした

それがよかったかも、記憶の方が鮮明なので。

で、当日ちょっと早めに着いてベルを押すと、なんだかバタバタ音がして、玄関が開いて百合子さんが出てきて、なんだか足を少し引きずるようにしていたのですが、「どうぞ」と言いながら

「今yokoさんのことアカシックでちょっと見ていたんですよ、そしたら突然インターホンが鳴って、驚いで急に落ちたから足を打って」って??

アカシャから戻るとき落ちて足打ったりするらしい

バスの到着時間より私が早かったので目測を誤ったって、

実は私、逗子の駅から25分かけて歩いてきたのです。

退行催眠、とっても面白かった。次々と映像が頭の中を駆け巡る。

ちょうど、映画の予告編のように、必要な部分だけのカットが繋がっているような映像。

でもあらすじは自分のことだから知っているので全体は分かる。みたいな・・・

誘導している百合子さんも、私と同じ映像を見ているらしく、ときおり

「そう見えるわ」とか「そう思う」なんて同意するんですよね。

私にとって、アカシックのデータは、暗闇の中、光が吸い込まれるように映像が縦長に消える様子が、まるで縦型のCDドライブに光るディスクがしまわれるようだったので、周りすべてCDが納められているデーターバンクみたいだと思いましたが、

百合子さんは、「私は図書館なの」って言っていたので、人それぞれイメージがあるんだろうなーと思いました。

そしてこのあと、私のアカシックへの旅がいよいよ始まるのです

そうそう、未来の私は、絵を描いていたのですが、そのころ全く絵を描くことに興味もなく、何で絵なんだろう?と不思議だったんですが・・・

縁あって昨年度から、突然水彩画教室に通いだしてなんだか絵を描くことになってしまっています。特に望んだことではなく、成り行きでそうなってしまった出来事でした。

そしてその後オーラソーマと巡り合い、今ボトルの絵を115本全部描こうと決めています。

レールが敷かれているようで、なんだか怖い気もしますね~~

「変容日記21」2009年1月28日 夢の中の神様

今朝、我が家の愛犬が戸を開けて入ってくる音で目が覚めた。

その時見ていた夢、神様の名前の書いた白い紙を見ていたのだ。夢の内容は忘れたが、

この神様の文字は頭に残った、しかしはっきりと覚いだせない。7文字くらいの長さで「賣」があったと記憶している。

神様カードでその神様を探す、しかしこれと思しき名がない。仕方ないので聞いてみた、そして現れた神様「天之常立神」その意味は

「今、あなたの内面においても、外に向かっても、大きく拡大していく時を迎えています。この宇宙で唯一無二のあなただけのエネルギーを、今すぐ人生の舞台で表現してください。注目されることへの恐れを手放すのです。あなた自身が光り輝くことを許可しましょう。」

いつも思うが、ほしい時にそのこ答えが帰ってくる。見透かされているようだ、もしくは自分の魂、潜在意識によってその答えを引いている状況にある。

そのことに確かに今まさに悩まされている。

自分の変人が拡大されることへの恐れが私を小さくしているのだ。

それに早く気付けとメッセージは伝えている。

私は私と言いながら、どこかで人と違ってくる自分を抑えてしまっているようだ。

心の赴くままに、本当の自分を取り戻すのだ。

いったいいつになったらこの堂々めぐりがら解放されるのか。

知っているから、しているの違いを忘れてはいけない。

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このころ、私は私で人と違っていいいのだから、大丈夫なんだ。

と思っていても、昔のような人との交流の仕方ができない自分を、どこか持て余していた。

たとえば、仕事の休み時間のみんなの楽しそうな話に入れなくなった。

他愛もない前日のテレビドラマや、バラエティーの話

まーほとんどテレビは見ないので、話題にはついてゆけないのだが

それでも昔は、え!なに?面白い話~~って割って入ったのだ。

しかし、それは無理している私の姿と、すでにわかっているので、

ただ、聞くともなしに黙ってそこに座って、ニコニコしているのみ。

けっこう疲れる。

たまに「どう思う?」って聞かれたら、嘘は言えないので

「わかんない、どっちでもいいと思う」って笑う。

あぁぁ!!・・・これって、昔付き合っていたたちと同じ返事だ!今気づいた。

あら~~、そっくりじゃん、大笑い!!!

やっぱり、私の潜在意識は気づいていたんですよねーー

そのたちの話はこちらの→ブログ

話戻って・・・

子供のころからみんなが楽しいと思っていることが楽しくなかったり、悲しいと思っていることが悲しくなかったりって、ちょっとずれている自分を思い出し、再確認したんです。

 

それが原因で子供のころは仲間外れになって、人に合わせる生き方をして今に至るのに、今度はまたもとに戻そうとしているのですから、顕在意識は混乱しますよね。

そんな状況でしたので、三歩進んで二歩戻る状態でした。

今は大丈夫です、なにが?・・・

話題について行けない場合は聞いてない。または皆の反応を観察している。

観察も結構楽しい、

「へーそんな風に考えるんだー」とか

「今そんなことが流行っているんだー」とか

いろいろ、勉強になります、ほんとですよ。

「変容日記20」2009年1月20日 ゲリーさんに会った

ゲリー・ボーネル氏に会ってきた

「ナイスミーツユウ」に両手で握手し「お会いできて大変うれしいです」と声をかけた。

隣のゆり子さんが、「あ!こんにちは」とすぐに私に気づいてくれて笑ってくれた。

サインを書いていただいているあいだに、

「私の人生を変えた本です。」と話すと、ゆりこさんがすぐに通訳してくれ

「それはすごい、なんで?私も読まなくちゃ」っと茶目っ気たっぷりに笑った。

「私の疑問にすべてこたえてくれました」と話すと

「おー、もっと疑問、書かないと」とまた冗談を言って大変楽しい方でした。

サインのメッセージ
「笑顔を失われずに」でした

この講演で再度確認したこと
・人に対して大声で怒鳴ったり叱ったりしない
・人に対して手おあげてぶったりしない
・人を自分の思い通りに操作しない
する人もされる人もエーテル体に亀裂を作り魂のエネルギーを失わせる。

終わって一つ決めたことがあった、最近私の摩訶不思議な話を聞いて、また一人遠のいてしまった感情があって、私自身にそうなることへの後退する気持ちが出て来たのだ。

それは間違っていた、私は私、魂の赴くまま解放し私なりの人生を歩むことを再度誓って、おそれずこのまま進むことにした。

そして、明け方、面白いことがあった

ミン子がしゃべったのだ。
もちろん夢、と言ってしまえばそれまでだが
「あたし、やっぱり一緒に寝る~」
と言いながらミン子が隣の部屋からはいって来た。
ちょうど、うつらうつらしながら夢遊病のように布団を上げる、

いつもの状況のように愛犬を布団へと誘った。

実際起きてからそのことがすごく不思議に思った。

そして、あの最初の不思議な夢を見た前日にもあったことを思い出した。

「ぽっ、ぽっ、ぽっ、ぴぴぴぴ・・・」とともに目覚ましが鳴ったのだ。
もちろん、「ぽっ、ぽっ、ぽっ」は夢の中での話でぴぴぴ・・・が実際の音。

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私の人生を変えた本!といっても過言ではない。

それほど私にとって、模索し続けた中で、一番私の感性と一致した本である。

そして、思考回路が変わってしまった本である。

人はそれぞれなので、考え方は様々、

何十年の歳月を経て、それなりにスピ系の本は読み漁った私が、初めて心を開いた本です。

ご興味ある方、一度お試しあれゲリーの回し者ではありません。

ゲリーさんはとても穏やかな感じのかたでした。

普通の、少しお腹が出たにこやかな中年男性って感じで、話し方も穏やかで、ジェスチャーもたいしたことなく、とってもカリスマ的じゃない方でした。

それが、すごく良かった。何故かホッとしたのです。普通の人で・・・

それがかえって彼の内面の大きさを物語っているように思いました。

しかし、最近のゲリーボーネルジャパンのHP見るとなんだかすごいことになってるなーってちょっと引いてしまいます。

8年前はゲリーさんと大野百合子さん二人だけ、ホンワカやっていた感じだけど、今は講師も凄く増えてしまってわけわからん。

初期のころにいろんなワークができたことは、すごく良かったと思う。

夢の話のミン子とは、愛犬の名前。

私の部屋のドアは引き戸で、軽いので鼻先が入れば首降りで、がーーっと開きます。

そんな風にして、ミン子は私の部屋に入ってきます。

怪我した後、足が痛いのか一緒に寝ることがなくなっていたのですが、気が向くとこんな風に夜中に布団に入れてと入ってきます。

その夜、「あたし、やっぱり一緒に寝る~~」ってかわいい声がして、がーーっと引き戸が開いたのです。夢うつつに布団を持ち上げ寝床に入れたのですが・・・

起きてやっぱり一緒に寝ているのを見て、あーー夢じゃなかったんだーって思いました。

犬もしゃべるんです

このミン子(ミンミン)の話はいつか書きたいです。
・・・面白いことありすぎのワンコでした。

「変容日記19」2009年1月11日 潮流のなかへ

今、昨年のことを思い出しながらあらためて考えている。激動の1年だったと振り返る。

昨年の1月4日からその予兆はあった、生まれて初めて人にお金を貸してほしいと頼まれたのだ。それも近所の親しくしている年上の方に、「へー私もそんな風に柔らかく見えるようになったんだ」と喜んだりして、帰ってこなくてもいいって気持ちで3万ほど貸した。

明日には返すと言ったお金が3日後になって1週間になってとうとう音信不通になった。まさかあの人が・・・と思ったが、もともとあげたつもりだったので気にはなったが特に何もしなかった。

そして1月の終わりに我が家の愛犬が膝のじん帯を切って手術をして1週間の入院をした。10年目での初めての大きな事故、夜タクシーを呼んで、動物病院へ駆け込む。2日後に手術で入院させる時の別れる辛さは自分でも驚くほどのものがあった。この10年手元から離したことなどなかったし、人に預け外泊したこともなかったので犬の気持ちを考えると本当に心が痛んだ。

1週間後に迎えに行き病院で奥から連れてこられた愛犬は、私たち二人を見てものすごい勢いで吠えまくった。「何で置いてったんだ、さびしかったんだから、怖かったんだから」と言っているようで流れる涙を抑えられなかった。

きっとこんな風になるだろうと思っていたので毎日病院には行ったが会わなかったのだ。

先生が「あー、そうゆう犬だったんですか」とぽつりと言った「この1週間一度も声を出さなかったから、おとなしい犬だと思っていたんですよ」って、それを聞いて健気さに涙があふれた。そしてそれから1ヶ月はリハビリの毎日で今度は肉体の負担を強いられた。

やっと普通の散歩に近い状態になって落ち着いたころ、5月の初めの「あの夢」を見た。

今思えばその頃はとにかく「私も霊感強くなったー」と自慢したくて仕方ないような状態と、

そのころ読んだ本によって今までの考え方が180度変わったことでの、いろんな苦悩からの解放の喜びでとにかく舞い上がっていた。

親友との会話も相手のことを考えることもせずただ夢中に喋りまくっていた。その結果が、反発!・・・一番の親友と思っていた人に嫌われたショックは本当にどうしようもないくらい落ち込んだ。食事も睡眠もとれなくなったのだ。

そして親友との付き合いも流れの中で密着した付き合いから少し距離を置く付き合いへと変わっていった。

そしてそれもどうにか時が解決してくれて、見た目昔と変わらない付き合いに戻ったころ、

9月のプライマリでの曼荼羅の映像現象だ。

それからは怒涛の如く次から次へといろいろなことが起こっている。今まで書いてきたことがその主なことで小さなことはきりがない。

今新しい年を迎え最近ふと考えている。このまま、この潮流に乗ってどこまで行ってしまうんだろうかと、変わってしまうことの不安はないが未知との遭遇での現実離れしたことへの私の対応の不安とでもいったらよいか、すでに満月の映像が美しい虹色の輪郭で縁どられて大きく広がって見えている。明らかに今までと違った映像が所々で見られる。

そして、今日また新たに驚くことが起こった。

神様にお参りに行くのになるべく近くの神社でとネットで目的の神様を探していると、今まで検索で出てこなかった新しいページを見つけてた、その中に懐かしい幼稚園の名前があった。それは神社の一角にあった私の通った幼稚園だ。あーそうかあそこも神社だったんだと思いだしながらその祭神をみて、全身に電流が走った。

そこには「宇迦之御魂神」と「大山咋命」の二柱が祭られていた。
この二人の神様は昨年、「神様カード」のワークで引いた、今年私をサポートしてくれる神様と、その神様をさらにサポートしれくれる神様のお名前だ。

昨年来いろいろな神社の祭神を検索しているがこのお二人の名前だけが記載された神社を目にしたことがない。

「あー、生まれた時からすでに守られていたんだな」と思った。そこは私の生まれた町。すでに幼稚園から登園拒否だった私が2つめに通った幼稚園、そこではちゃんと最後まで通えた幼稚園。

ここまで来ると、偶然とかアー驚きとか言ってる場合じゃないって本当に考えさせられた。

舞い上がってる場合じゃない。ちょっと頭を冷やそうって本気で思った。

霊感強くなったなんて喜んでる場合じゃないよ(>_<)ったく。

今年は、心穏やかに流れにまかせながら自分をしっかり見据えて、転がらないようにバランスを取って、どっしり地に足付けて日常生活を送ってゆこう。

私は変容を拒否していないし、来るときが来ればそれは必然的にやってくるので、

その時の準備としてまず自己確立をしっかりしておこう。

何も考えず何も望まずただ現象をじっくり見据えて観察することにした。

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2008年の初めごろから、いろいろあった。

日記には書いてないが、1,2月ころだったと思う、こんなこともあった。

いつものように仕事場に向かう途中、駅を降りて歩道を歩いていると、向こうから一人のお年寄りが歩いてきた。足取りはそれなりに不安定だが、特に変わった様子もなくすれ違った。

すれ違って通り過ぎたあとに、「たすけて!」と女の人が言った?聞こえた。

「え!」と思って振り向くと、すれ違ったおばあさんがすでに5m以上先を歩いている、そしてその人だけだ、とっさにその言葉が気になって走って戻り「どうかしましたか?」って声をかけた。

その老婦人は「あの・・・駅がわからない」って

「まっすぐ行くと駅ですよ」って言うと

「家がわからない・・・」「家に帰る・・・」と、ちょっと意味不明な会話でおかしいと思いました。

私の仕事場は障害者センターなので看護師さんもいて、ちょうどいいので「一緒に行きましょう」って声をかけたのだが、歩く方向が逆なので「違うそっちじゃなくて・・・」ってなかなか一緒に来てくれない。

それでも、すぐそこなので、そこに行けば一緒に家に帰れるからと言って、手を繋いで30mくらい先のセンターへやっとの思いでお連れした。そして職員さんに引き継いで事なきを終え安心したのですが・・・

後で考えると、「たすけて!」て私を呼んだ声は明らかに若い女性の声でした。

意思の疎通の難しいその方が発したとは到底思えません。

私のアンテナがその方の心の声をキャッチしたのだと思ってます。

そんなことから始まった2008年は、私の心を大きく飛躍させた反面、霊的な世界に心を取り込まれてゆく危険性もはらんでいました。

50を過ぎた普通に現実を主体に生きてきた人間がある日突然、今まで見たこともないものを見始め感じ始めるのです。そのギャップは私の心を麻薬のように快楽へとむしばんで行くようでした。

おおげさな~~って思いますよね。

でも実際、霊能力者って言われる方々が羨望のまなざしで見られる時代でもあります。それに近づいた自分は人より一段上になった気がするんですよね。知らない間に、気付かない間に心の奥では、自分は特別な人間なんだと思い始めるのです。

たぶん私の潜在意識の叡智は、それを良しとしなかった。だからストップをかけた。守護霊さんといってもいいです。天の意志といってもいいです。呼び方はとにかく、私の感性が危険信号を出したことは確かです。

落ち着いて進め~~その先に深い穴があるぞ~~頭を使え~~って。

オーラソーマのボトルB0番「フールー」まさに「うつけもの」

そして8年たった今、また同じ道を歩み始めています。

でも二度目ですから同じ轍は踏みません!

ボトルB22番「フールー」私は自分が「うつけもの」って知ってるぞーって。

そして今、敬愛する霊能者の方と知り合ったことで、その生き方考え方、謙虚さと寛容さを見るにつけ、その能力は全ての人と分かち合うための能力であるり、個性であり、特別なものではないと知りました。

また見えているのかーって、見えましぇーん(笑)

でも必要があれば見えることも感じることも知っている。

「変容日記18」2008年12月24日 魂の友

12月23日「ミカエルのクッキー」5名が再会した。

 その日は、その中の1人Kさんのオーラソーマセミナーも兼ねていた。

わたしと、Yさんの二人が参加、初めてオーラソーマにふれた。

ただ2層に分かれたオイルの香りで癒すのかと思ったら、結構奥が深くてそれぞれに意味があり、数が決まっていて色も決まっていて、さらに発祥の地イギリスの方からパワー注入されて日本に来るので取扱注意のやたらに触ってはいけない物だった。

全部で4本選ぶ
1本目に100番の クリアー/ディープマゼンタを選んだ
1本目はソウルボトルと呼ばれ本来の私を表している。

2本目は054番の クリアー/クリアーだった。
2本目はチャレンジボトル、今必要なこと。

3本目は011番の クリアー/ピンク
3本目は今現在の状態

4本目は058番の ペールブルー/ペールピンク
4本目は未来の可能性
そんなこんなで皆それぞれボトルを選んでいった。

夕方から5名揃って再開を祝し乾杯!
それぞれの近況報告などして、変容ぶりの話に盛り上がっていた。その中私は手作りしたパワーストーンのストラップを取り出し、一人ひとりに手渡した。

これは1ヶ月くらい前に再会が決まったとき、思い立ってそれぞれのプライマリでの印象を思い出しながら選んだ石で。色からイメージを膨らませたものなので必然的にそれぞれ違った色になった。

不思議なのは、オーラソーマでKさんとYさんが1本目のボトルで選んだ基本の色と言われる下層の色が、私の選んだ石の色と同じだったこと。

さらに、遅れて来るなりへこんでいる状態のTさんが私の選んだ石の意味を見て、「わー今の私の状態そのまま!どうしてわかったの」との叫やら、「この色、今のストラップと色合いぴったり」など色に対するうれしい言葉もあったにせよ、なんか意識拡大している・・・かも

「やっぱり自覚がないだけで無意識でかなり情報受け取ってるねYOKOさん」と守護天使としょっちゅう会話しているYさんが褒めてくれた。

さらに帰り際、クリスマスの交換プレゼントであみだくじをした。

これには、大きな私の誤解が含まれていたのだが、実はそれぞれに買ってくるのかと思ったら一つだけ買ってみんなでどれか一つを貰うことだったらしい。

私は石のプレゼントを個々に配ってしまったので。カバンにあった食べかけのチョコレートを出して「これでいい?」とごまかした。みんな許してくれた。

あみだくじはMさんが作り、一番若い順に選び最後に私が残った場所にきまった。あみだをしている間私はトイレに行っていたがその間、壁一枚へだてた隣の個室では、ワー!ヒェー、ウソー、と何度も驚きの声が響いていた。

戻ったとき、何かすごい騒ぎだったね。と聞くと、私とあみだを作ったMさんが交換だけであとは自分のものが当たったらしい。ヘー珍しい!

どうする?の相談でじゃ残りの3名でやろうってことになって、こんどはMさんがトイレに立った。「あみだは面倒だからじゃんけんでグーチョキパーで決めよう。YOKOさん、どの品物がグーチョキパーが考えといて。」わたしが頼まれ心の中で左端からグーチョキパーと決めた。

3人じゃんけんが始まった。しかし3人とも同じものを出してなかなか決まらない、やっと最初にグーが決まった時。「だめだこりゃ」と思った、なぜならすでに最初から本人のプレゼントが本人へと渡ったからだ。案の定その先も2人でなかなか決まらずやっと決まったと思ったら。結果は同じ。

どうだった、の3人の視線のに何度やっても同じよ。とつぶやく私・・・

エー~~!!!と絶句。

「ね、何かいい加減にしろ!って言われそうよ。何度もやらないと気付かないのか?ってね」

Mさんが戻ってきてその話を聞き。それぞれ人のためとはいえ自分の好きなもの必要なものを買ってきているはずだから。それを持ち帰りなさいってことなのよ。ってことでそれぞれ買って来たものを開いた。本当にそれは個性的でそんな品物達だった。

唯一交換した私とMさんだけが、それぞれ個々へのプレゼントを持参したから、魂は私たち二人だけの交換を計画したのかな。だって結局みんなプレゼントは自分以外から2個貰っているわけだからね。おもしろいプレゼント交換だった。

意識が開いている人間が多く集まると珍現象は起こりやすいと改めて感じる。

小さいことはあり過ぎて、私も最近普通のことと、とらえがちになっているので気にならないからあまり覚えていないけど、そんな人たちの話の中でアッ私も最近あった、とか、思う、とか、感じたことがいっぱいあって、日常的に日々変わっているんだなと再認識し感動した。

めぐり会うべくして、今変容期に巡り合っている魂の友らに感謝します。

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ミカエルのクッキーとは=プライマリーで最後の日にランチをしていた5人のことです。

プライマリーの二日目に、瞑想中「大天使ミカエル」にみんなで食べなさいと、5個クッキーをもらったって話の縁です。

ミカエルっておじさんじゃないけど

今現在オーラソーマのプラクティショナーである私が最初に触れたオーラソーマ体験でした。

とくになんの感動もなく、勧められるままに1本目の100番ボトルを使いました。本当にきれいなボトルで、チビチビ使いながら二月くらいパソコンの横に鎮座してましたね。

今、自分でボトルの4本を見ると、まさに変容期真っただ中、ぞっとします。

そしてプレゼントのシーンは忘れられません。

5人の最高齢である私は、個々に手作りの天然石のストラップを持っていき、その次の年長者Mさんは、出版社に勤めていて、個々にスピ系の本を持ってきていました。

その本も、彼女が後ろに隠し、上から何冊目がいい?って感じで皆がそれぞれ決めました。

ゲリーさんの本が2冊。石の本が1冊、あとよく覚えていませんが、それぞれが、あーこれ読みたかった本!など、自分が読んだことがない本が行き当たったようでした。

私は、石の本で、それを手渡しされるときMさんが

「YOKOさん、石と話ができる方なのでちょうどよかった」って言ったんです。

「え!石と話ができる?私が?そう見えるの?」って聞くと

「そうですよーーー、本当に自覚無いんだ!」って笑ったんです・・・

ほかの人達も、「もーやだー!」っていいながら爆笑。

へーーって、思ったんですよ。考えてもいなかったんで・・・

今は?
この人にこの石必要かな~~って感覚的にわかります。

今でも天然石アクセサリー作り続けています。石大好きですから。

ってことで、後は日記の通りで、残り三人は自分が買ってきたプレゼントをそのまま持ち帰りました。2度やって2度とも自分のプレゼントを受け取る確率は?計算出来ん!!

とにかく、素晴らしい「意味ある偶然」を見させていただきました。

メンバーの内2人は自覚している霊能者でした。俗に言う見える人達でした。そのうちの一人の方は、デザイナーで自宅で仕事をしていて、しょっちゅう天使が話しかけてくるって言ってましたし、子供のころから変わっていたけど、母がやはりそうなので、否定されなかったからよかったんだと思うって話や、

プログラマーの方は「わたし電気ダメなの」って人で、残業中一人の時、「なんでうまくいかないのー」って凄くイライラしていあー!って思ったら、部屋の電源全部落ちた。って経験があって、感情が高ぶりすぎると危険なの、って話していた。ワークの時一緒にエレベーターに乗って、1階で開かなくてまた3階まで行ってしまった人です。

私に「YOKOさんが次の日、エレベーターの話をしてきたから困ったなーって実は思ってたの、私のせいだと思ってたから、説明しにくいし」って、

すでに8年も前で詳しく覚えていませんが、とにかくその場の話が現実離れしていて

「びっくらこいたー」って、私はただただ、未知の世界の話を聞いていた次第です。

一言付け加えると、その中のお一人が

「普段こんな話したら、変な人だと思われて仕事絶対もらえないから普通にしてるよ~」って、苦労しているのだ。自分を隠して生きてきたって思いは同じかと思いました。

そして今は、お一人年賀状いただくだけでお付き合いがありません。音信不通

それぞれの道へと進まれたのだと思います。また会うことがあるかな~~~

 

「変容日記17」2008年12月16日 魂の望みとは

大人よ、子供が黄色の空を書いても訂正するな、青虫を持ち帰って畳で育てていても笑って許せ、ひとりでお人形としゃべっていても不安がるな、ほかの子どもと同じように遊べなくても困った顔をするな。

案の定いじめられっ子の道へと進んだ。

人はそれぞれ違っているもの、あの人、この人、その人、そして自分。
ほら、みんな顔が違うでしょ、考えていることも違って当たり前、

自分でそれに気づくのにいったい何十年の歳月がかかったのだろう。

あの時、あの親でなければ・・・なんてことは思っても仕方のないこと、

さらにそういう魂を持って生まれた私がその環境で成長することが必要だったと今思う。

魂の望み、それが私を幸せへと導く道。

私の魂は今世で何をしたいのかは分かって生まれてきている。

それを大きくなるにつれ忘れてしまうのは、

衣食住に重きを置きそのことが他の人よりいかに優位に立っているかで幸せが決まると教えられて育つからだ。

遊び、表現、趣味、あらゆる面で普通と言われる多数決に負けてきた、

小さい頃は衣食住の重きなど興味もない。

しかしそれは社会に適応できない不適格者とされる恐れがあるのでみんなの真似をして生きてきた。

そして本来の自分じゃない普通の世界に取り込まれていった。

それは本来の自分を否定し続ける作業だった。

ほんと、今考えても子供のころからヒステリー、神経質、臆病、あらとあらゆる情緒不安定だったのは、本来の自分を否定する反動のストレスだったにちがいない。

いつも一人になりたいと思っていた。

高校生の頃はどうしてそう思うのかは深く考えもせずただ

「母が嫌い、兄がうっとうしい、祖母が汚ならしい」なんて本当に思っていたし、

そしてただ早く独り立ちしてこの家から出て自由がほしい。

との思いだけで年をかさねていた。

思い出したくもない10代だったが、今思い返すとあの情緒不安定がその先の自分探しの旅につながっている貴重な体験だったと思いだす。・・・フム余裕だな。

30代の初め、最初の大きな変容があったとき、母に長~~い手紙を書いた。

それをポストに投函し寝袋を背負って私は当てのない一人旅に出た。 カッコイイ!

しかし10日で帰って来た。

自分の度量がわかって「何だ私ってこんなもんか、大したことないな」とあっさり降参して帰って来たのだが、母には一大決心で一月は帰らないみたいな気持で書いたと覚えている。

自分の小さかった時どう考え周りをどう見ていたか、それがいま自分でどう考えているのかなど、そして最後に「産んでくれでありがとう」のことばをそえて・・・

その後何年かして、母がぽつりと言った「本当にお前は小さい頃から何を考えているのかわからない子だった」と

その時私は「母もまだ若くて、理解できない我が子に苦労したんだろうな」と慰める気持ちになった。そしてその時から私にとって母ではなく友となったのだ。

ところで、私の魂の望みはわかったのかということだが、これがまだおぼろげでこれと言った確信がない、いくつか挙げると。

1、第三の目を開き、他の人の助けとなる。
2、ピアニストとして音楽で人々と関わる。
3、気功の講師となり人々を健康へと導く助けとなる。

いま同時にこの三つを始めているがどんなもんかね、

しかし今書いていて思ったのだが、どうも共通する「人との関わり」が関係するようだ。

たしかに変容してからは本当に他を受け入れる力をつけてきた。今の私は昔のように自分を見失うことがない、この今を作ったのはまぎれもなく今までの人生の道のり、魂の格闘が生んだ結果だ。

「人の中に戻れ!」これが魂の今世の目的だったのかもしれない、文章はやっぱり書くもんだね。

集団からちょっと離れてぶら下がっっている私は、時おりその中に埋もれ、外で充填したエネルギーを放射する。そしてまた外れぶら下がり、エネルギーの補給をする。

そんな繰り返しで人と関わって行くのかな?

最後にここが重要だ、人の中に戻る時に忘れてはならないことそれは・・・

「人を癒すにはまず自を癒し、さらに他に癒されよ」

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あらー!、ここで気づいている。

人の中に帰れ、これが一番重要で私に必要なこと、「魂の望み」であった。

どんな事で何をどうする?なんてことは問題ではなかったのだ。

以前NVCを体験してきたとき、

NVCとは頭(思考)で判断・批判・分析・取引などするかわりに、自分自身と相手の心(ハート)の声に耳を傾けて、今の感情(Feeling)・ニーズ相手が必要としているもの(Needs)、を明確にしていくことで、お互いの誤解や偏見からではなく、心からつながりながら共感を伴ってコミュニケーションをすること。(NVC JAPAN)

私はこれを十年以上ずっと模索してやってきた、・・・そう感じた瞬間でした。

今現在でも、日常的にこのことを考え行動しています。

それは一種の職業病のような感じで身に着いてしまったことでした。

そー、私の仕事は、「相手のニーズに答える」仕事だからなのです。

その職業とは、

個人のお宅にお伺いする、訪問専用のパソコン講師です。

その仕事は、15年前私が勝手に考えて一人で始めた仕事です。

自宅のパソコンで勉強するほうが、絶対覚えるし身に付く、それにパソコンでやりたいことは千差万別なので、その希望をかなえることは、絶対に需要があると思ったのです。

今思えば人嫌いな私がなんで始められたんだと不思議ですが、そこには逆転の発想で、団体行動苦手だし、組織の縛りもないし、失敗してもひとりだし、誰にも迷惑かけないし、パソコンなら趣味の一環だし、好きなことなら何とかなる!みたいな思いだったのです。

実はパソコンオタクなのです。

そして、訪問した先のお客様のニーズに答えられなかったら、

お金受け取らなければいい!って腹をくくってました。

その気持ちが、私をとってもリラックスさせて相手とのコミュニケーションがスムーズに行えた要因でもあります。

結局心配することなく、ほとんどのお宅でまた呼んでいただき、お茶とおしゃべりの時間も楽しくコミュニケーションさせていただきました。でも、毎回ドキドキで勇気を振り絞って、大丈夫だからと自分に言い聞かせて行ってました。あー懐かしい~

私にとって、仕事とはいえ人間関係の初歩を鍛えたことに間違えないと思っています。

さらに、仕事を始めて2年ほどして、近所の障害者センターの所長さんにお願いされて、パソコン講師を始めたのも大きな心の飛躍の一端です。

そこの障害者センターは、健常者が途中から障害を持たれた方々がいらっしゃるところで、主に脳血管疾患の患者さんで、半身まひ、失語、記憶障害、情緒不安定、専門用語で「高次脳機能障害」って言います。

障害者にパソコン?大変でしょ~~って言われますが、2年くらいでも、個人のお宅に行ってニーズに答えてきた私にとって、それほど一般の方との違いは感じませんでした。

何故か?それはやっぱり相手に集中し、観察して、相手の気持ちに寄り添うことに心がなれていたからなんだと思います。

見た目で判断、はすでにそのころなくなっていました。見た目の自己判断のいい加減さは、自分自身で呆れるほどわかっています、それに気づく仕事でもありました。

基本、コミュニケーションは相手を観察し、理解しようとする気持ちです。それにはやはり「愛」ですねー。

是非、あなたの愛する人、身近な方ににNVCしてみてください。

これができれば戦争など起こりえないことです、世界にNVC・・・

NVCの回し者か~~~~笑い

あ!今は、訪問のパソコン講師の仕事はしていません。障害者センター2カ所にお伺いしているだけです。

そして日常すべてがNVCとなったのは、障害者といいわれる方々との触れ合いが、私の原点だったと思います。

「変容日記16」2008年12月15日 坊さんと孤独

「ほら、だからいわんこっちゃない」っと心の中で声がする。

ホントの自分なんで出したって、どうせ受け入れてもらえないことは子供のころか分かっている。だが、そんなことにぶつかるたび心が動揺する弱い自分が悲しい。

昔の自分を取り戻してからちょっとしたことで、人との違いを感じることが多くなってきた、今までふたをしていた思いがあふれ出し、表面に出てそれが言葉となって噴き出すとき、相手が不支持的反応または「?」を表すことが増えてきた。

あーこの感じ、昔と同じだ・・・と懐かしく思い出しながら胸が痛くなる。私は他を受け入れたが、他は私をなかなか受け入れてにくい?

子供のころは、食べるためには家族や回りに嫌われないように合わせてるしかなかったが、自分の力で食べられるようになった今、そのことで他の目を気にする必要はない。

子供のころのように他に受け入れられなくても、ここで無口になって殻に閉じこもるのはよそう。この孤独感は私の魂の特性、そしてその特性を生かして自分の魂を解放してやるんだ。そのうち光は必ず見えるはず・・・。

20代のころお坊さんになりたいと思い始めたきっかけが子供のころから押さえつけていたそんな思いだったと思う。どこか山奥に行って一人でひっそりと暮らしたい。そのためにはどうしたらいいかと思いついたのが出家で、人とのかかわり合いがないところに行きたい、と思ったのだ。

今思えば、安易な考えの現実逃避だったと思うが、30も半ばを過ぎ大人になり将来を考えた結果も、やはり老後は出家してひっそりと暮らすしかないと思っていた。そのために何をすればいいか真剣に考え、とりあえずお金は必要なので月10万の貯金もしていた。

40を過ぎたころ今の♂と暮らし始めた、もちろん大いに悩んだ。私が他と暮らせるなど考えてもいなかったからだ、この決心には自分でも驚いた。この人なら私の孤独も自由かもしれないと考えていたのだ。そして、出家のために蓄えたお金はマンション代へと消えていった。

そして、見た目普通の人と同じ生活を手に入れたのだ。これは私にとって大変幸せなことだった。世間の多数決と同じ、大きな物を一つを手に入れ、その精神的な安堵感は私をリラックスさせた。

仕事の関係上初対面の方が多く、40も過ぎるといちいち「ご主人は」「お子さんは」の日常会話がうっとうしいし、それでなくても変人に見える私をさらに二重に変人にさせるからだ。

うちの♂(noriと呼ぼう)とはもちろん籍は入っていない、表札は二つ、ご近所には夫婦別姓と伝えてある、今は都合のいい言葉ができていて助かる。

私たちの生活は、孤独を共有した共同生活だ。個々の部屋、食事の自由さ(noriは自分で作る)私は掃除洗濯位はするが(料金は貰っている)そのほかは全部自由。必要がなければ会話もしないし一緒に食事もしない。出入り自由で行ってきますとおかえりなさいの挨拶くらい。お互いしていることに関心がない。相手にわかってほしいとも思っていない。

その感覚が私たちは共通している同じ魂。なので部屋はお互い開けっ放しの覗き放題、エロ雑誌やDVDも転がり放題。あーそんなの関係な~い・・・って感じで開けっぴろげ、あーらくちん\(^o^)/

さらに私たちは魂を共有しているので、多くの会話は必要ない、彼は十分他に愛情を持った人だし、それを私が今まで気付かなかっただけで、私が変容したことで彼の体温、呼吸、存在じたいに愛情を感じていることが伝わり、noriの愛情深さをさらに大きくさせている。

そうは言っても、私の魂は孤独がないと生きて行けないことに変わりはなく、そんな私を隣の部屋から存在だけの温かさで見守ってくれるnoriに感謝するしだいです。

私とnoriの魂は人の輪に入りたいんじゃなくて、外から見ているのが好きなんだね。まるで集団から切れない紐でつながった凧みたいだ。

そんな縁ある魂があっても不思議じゃない。

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私の変容前が13年、そして変容してから6年の共同生活でした。本当にこの19年、私にとって、初めて自分に集中して物事を考え実行した時期はなかったと思いだします。

要因の一番は、経済的な安定が大きいです。

noriは公務員で収入が安定していて、月々私に家賃と生活費を払ってくれていました。

それがマンションの返済の一部となって助けられたのです。

noriは掃除洗濯、自室の片付けは全くダメなタイプで、たぶん私がいなければゴミ屋敷になる状況でした。人間裏と表はつきものです。

そしてお金に無頓着な人で、マンションの名義もいらないと言ったくらいです。

人にお金を貸しても、貸したこと自体を忘れるような・・・

ようするに貯金をしないタイプです。でも借金してまで使うタイプではないのですが、彼のそんな性格が結果的に二人の別れ、につながったのです・・・。

私たちが離れたのは、お互いの課題が次に移ったのだと思います。

20年に近い二人の生活は途中から犬を交えての二人と一匹の生活、16年生きていた愛犬が死んで、降ってわいた出来事で彼との別れを決意するまで約半年あまり、愛犬の一周忌には、すでに私たちは別々の生活に移行したのです。

 

愛犬が2人のカスガイだったのですね。そして仲介役でもありました。

どちらにも平等に愛を注いでくれる中立の立場のワンコでした。

私が飼い主なのにnoriにも凄くなついていて、どちらかにベッタリにならないワンコでした。

人生同じ生活が、ずーーーとあるとは限りません、いつ何が起こってもおかしくない、天災もあるし、家族の病気、事故、もちろん自分も。

明日、突然起こっても不思議ではないのですよね。ってそれが生きるってことです。

どんな事がおこっても、いつも自分の中心にいることを心掛けたいです。

「変容日記15」2008年11月14日 愛しの「ゴキちゃん」こんにちは

子供のころから、夢は私の日常生活の一部だった。

記憶の限り夢を見なかったのは30代の初め、長野に住み込みで農家のアルバイトに行った一月余りだけだ。さすがに肉体労働の極限になると夢を見る暇ものなく、後頭部が枕に着いた。と思った瞬間に朝・・・といったつまらない眠りだった。

つまらないと言ったのは、夢は私にとってどんな遊びより面白い日常的な出来事だからだ。

それは、もう一つの日常生活。もちろん良い夢ばかりではないが、大半は空想活劇物語で、ファンタジー映画のような感じだ。ゴジラもスーパーマンも、妖精も悪魔も多種多様で、それはもう私の想像フル回転の内容だ。

子供のころは、いつも酔っ払って自宅に来るおじさんの夢が多かった。怖かった。

そして、寝ている私の身体の足もとがず~と遠くにある夢、すごく不安感に襲われる。

いじめられっ子だった小学生の頃は、学校でいやな思いをする夢。

一人ぼっちの夢が多かったと思う。

毎日夢を見続けることはネタ切れも生じるのか、高校生くらいからは連続ドラマにのように続きを見ることも多くなった。その頃からの得意技は夜中に目がさめても、今見た夢を思い出せば必ず続きの世界に入れることだ。何日も空いて続きを見ることもある。

良い夢の場合はいいが、怖い夢の場合は見たくないと思っていても続きを見てしまう。そんな時は、トイレに起きたり水を飲みに行ったりして頭を確実に覚醒させることで回避できる。

夢の中で私はなんでもできる。空を飛ぶ練習もして何年後かには実際に飛んた。助走をつけて手を羽ばたかせ風をつかむ感覚も腕が覚えている。車の運転もできるようになって、苦手な高速道路も乗れるようになった。もちろん夢の中だけ。

宇宙船に乗って他の星にも何度か行った。何もない平らな星では地盤が持ち上がり地下へエレベータで降りる地下都市、地球と同じように海がある町では、町から町の移動はスクリーンの中を通ると移動できるシステムの星。

宇宙船の生活も長い、全体が白っぽいライトと壁、階ごとに食堂、寝室、会議室などがあり、私はどうもエンジニアのようで、よく機械に囲まれた部屋にいた。

人を傷つけ追われる身であった夢、西部劇の決闘シーンで左わき腹に銃弾を受け死を感じた夢。バスの最後尾の右に座っていて橋桁から落ちる夢。新婚旅行のドライブで崖から落ちる夢(落ちて行く間、迫りくるエメラルドグリーンの海を見つめていた)。思い出したくない夢も数々ある。

そんなこんなで、50数年になるが、1年ほど前からその空想の夢の一部に変化が現れ始めた。

それまで過去の♂や、いやな思いをした上司など、夢に出てくるたびに「バカヤロー!」と怒りがこみ上げてくるのが常だったが、怒りがこみ上げなくなったのだ。ただ淡々と会話している自分がいる。不思議だ、

中には20年も経過した過去の人物もいるし、私の中では日常ほどんど思い出しもしない人々が主だが、いままでなら夢に出てくると怒りがこみ上げてきて、ものすごくいやな気持ちになった。その時のことを私の心の奥深いところでは、まだ許していないってことなのだと思う、ところがその怒りが突然無くなってしまったのだ。

それは、私の現在の変容の準備として、心の奥の方では1年前から少しずつ変わり始めていた証拠だ。そして過去のいろいろな人たちの夢が穏やかになってきた。

それが5月に書いた文章の昔の♂への謝罪と感謝の気持ちへと繋がったのだ。さらにここ半年くらいはそんな方々も本当に夢にも出てこなくなった。心がやっと消化したらしい。

そしてつい最近、題名にも書いた珍事件が夢の中で起こったのだ。

明け方、究極のあのもっとも忌まわしい夢に出てきてもうなされ、恐怖にひきつり鳥肌が立った状態で目覚めるあの「ゴキブリ」を素手でつかんだのだ!。

起きてそのことを思い出すととても不思議な感じがした。鳥肌も立っていない。ゴキちゃんに対してすでに敵対心が確実に薄れている。

ついに私は深層心理でもゴキちゃんを受け入れたのだ!そして魂が中道へと導かれつつある実感は空想ではないと確信した。とてもうれしい、心から喜びがあふれた。

しかし、手放しで喜んでばかりはいられない気もする、何せそれは死んで干からびた状態だったからだ・・・どうなんだろう?

次回の夢に期待する(*^。^*)

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私とゴキちゃんとの触れ合いは遠い昔、私が中学生のころ、風呂上りの夏、パジャマの袖口から身体に入ったのが最初だ、

想像してほしい、でかいゴキちゃんが背中を這っている状況を・・・

思わず、わ、わ、わーーーーーーっとはぎ取るようにパジャマを脱いだ。

兄はその時のことを、「見られるのかまわず、ぬいじゃったよなー」って言う。

かまってられるか、ゴキが背中にいるんだぞ!!

そして、その家で二度目には、布団の中で朝目が覚めて、首筋が何がモゾッとしたので手で振り払って起きたら、でかいゴキちゃんがボトッ、って落ちた。

何故こんなに好かれるのか?

ちがう!やつら人間を怖がっていない、むしろ寄ってくるのだ。

私が生まれたのは横浜南区、7歳の時に名古屋市中村区に引越し、父が死んで社宅を追いだされ、横浜市神奈川区の今私が住んでいる建替える前の古い家に引っ越した。

母の実家だ。

その当時その家は、戦後に素人が建てた家で、天井板がなく梁がむき出し、畳の部屋は玄関側に斜めに沈み、雨戸はなくガラス戸も斜めで隙間風が入っていた。

さらに、とっても自然の中で(山の中)それもあり、昆虫の宝庫だった。ゴキブリはもちろん、ムカデ、ゲジ、ヤモリ、クモ、カマキリ、夜は明かりに向かって飛んでくるのか、セミ、カブトムシ、カミキリムシもどこからともなく入って来た。私は見なかったが、天井の梁に青大将が絡まっていたこともあるらしい。

11時過ぎて家族が寝しずまり、一人茶の間で勉強してると楽しいゴキブリの舞が見れる。

かれらは、人が寝静まるころが遊び時間で、私がいようがお構いなし、天井と言えない板張りの隙間から、次々と飛び出してあっちの壁こっちの壁と飛び交うのだ。

もー、勉強どころではない!あー今思い出しても凄かったなーー

しってる?ゴキブリってお尻同士がくっつく交尾で、繋がったまま移動するんだ。

うちのばっちゃん(祖母と暮らしていた)「チッいやらしい!」ってハエたたきでバシッ!!

何匹それであの世に送ったか、何せその格好だと動きが鈍い。

あれ~~~ゴキちゃんの話ばっかりになってしまった。

でね、大嫌いになったばかりが、恐ろしい存在になってしまってね、生涯受け入れられないと思っていたわけです。

そのゴキちゃんを夢の中とは言え素手でつかんだんですよーー

その衝撃は凄かったです。曼荼羅の次に入る衝撃事件だったのです。

それで最近また、第二とも言える変容期を迎えているんですが、予定通りゴキちゃん現れました。

以前Facebookに載せましたが、1年ほど前スーパーのレジでバックから財布を出したら、レジ台にポトッっとゴキちゃん!ひっくり返った状態でジタバタ、素早く財布で床に落とした私。

何故、バッグに、いつ入った!!!やはり、縁があるのです。

最後に、同じ場所ですが今は建て直して普通の二階建て住宅です。それなりの密閉度はあるので、外の虫は入ってきません。ゴキちゃんもホウ酸団子でほとんど姿を見ませんね。

だけど、見たとしても昔ほどギャーとは叫びません。

「あ!ゴキだ!」と普通に対処、やはりあの世に送ります、ごめんゴキちゃん

「変容日記14」2008年10月15日 オーラの変化

オーラを初めて診てもらったのはちょうど1年前だった。親友が自分のオーラが知りたい、見てもらいたい、としょっちゅう言っていたのでネットで調べていて見つけたところが今度で4度目になる「sachi」さんとおっしゃる方だ。

見つけたのは偶然である、または必然とも言うのかもしれないが、1回1,000円が大変気に入り、嘘でもいいやと気楽な気持ちで写真を送った。

すぐに返事が来た、私は全体がシルバーのオーラで頭頂部に青紫のオーラがあるそうで、全体的に小さくなっていると言われ、精神的に、まいっているのではないかとも言われた。

そこではたと気づいて、もしかしてオーラはその写真を撮ったその時期のものなの?、と問い合わせたところ「そうです」との返事。実はその写真は更に1年も前の写真だった。

撮り直して今の自分の全身写真を送った。またすぐに返事が来て、今度は基本のシルバーは変わっていないが頭頂部の青紫のオーラが改善されていると言われ精神的に安定してきているとのことだった。

その時、守護霊さんの言葉を教えてもらった。「・・・何ごとも継続から成り立つものですよ」全ての言葉はもう忘れてしまったがこの言葉だけは今でも覚えている。

返事のメールでこの言葉を目にした時、こぼれる涙を抑えられなかったのである。

「あー知っています。昔から聞こえています。あれは守護霊さんの言葉だったのですね。」

昔から自分にいつも言い聞かせる言葉そのままで、まったくの同じ言葉に偶然を通り過ぎ、それはもう必然として、私のそばに守護霊さんがいることが感じられた瞬間でもあり、温かい涙が後から後からあふれ出し、とても幸せな気分になったことを覚えてる。

私の変容はすでにその時から始まっていたのかもしれない。

そして今年の1月、オーラは普通に会話に出るほど一般化してきているので職場でもその話が出て、皆が見てもらいたいと言うので、まとめて送るついでに私もまた送ってみた。

あれから半年、頭頂部のオーラが紫に変化し、上に大きく伸び全体的なオーラも少し大きくなっていた。「精神的にも大変充実していることが分かります。」との言葉と、守護霊さんの、「あなたが幸せを祈ることで皆が幸せになるでしょう。」の言葉に、その日から日々、地球全生命体のため祈りをささげている。(大げさだが本気だ^_^;)

それから10か月、5月の大きな変化からプライマリーのワークでの体験を経てオーラも確実に変わった。と実感し感じていたので診てもらいたくなったのだ。
その結果は、

オーラの色はシルバーです。頭頂部の外側には非常に大きく輝く紫のオーラ、その中にまばらに輝く青緑のオーラが見えます。
シルバーのオーラで深層心理で知的、崇高なものを求め、自己アピールをせずまじめで古風であることが分かります。
頭頂部の紫のオーラで、更に崇高になり世話好きですが、青緑のオーラで時折、優しく癒し系なのに慎重で控えめになることがあるようです。
全体のオーラは非常に大きいです。特に頭頂部のオーラはクリアで大きく輝いています。精神的に充実し強い精神エネルギーがあることが分かります。
守護霊さんのメッセージ:インドの僧(最初からずっと一緒)
大きな波があるでしょう。大きな山があるでしょう。さまざまな事が起こりますが、困難を乗り越えた時、あなたの力は大きなものになるのです。いかなる時も大きな力に守られていることを忘れてはなりません。

すごい!・・・本当にそう思った。これほどの変化とは思っていなかったので少し戸惑った。小さくなっていますから2年、クリアで輝く大きなオーラとなった私の精神エネルギー、それはまさしく第三の目を開く準備が整った証であると信ずる。

オーラ診断HP http://www.geocities.jp/ganeshasachi/

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オーラを初めて見てもらったのは2007年です。

それから9年、毎年「御守り」をもらうように、恒例となってしまった私のオーラ診断

何故?信じてるの?・・・って

日記に書いてあるように信ずるに値するのは、守護霊さんの言葉でしたね。

それと、初めて見てもらった時、友人がちょうどその一月後に、アカシックリーディングができる方を紹介してもらって受ける予定になっていて、その結果も大きな要因です。

そうなのです!、オーラの色と大きさなど、表現が違えど同じで、守護霊さんのメッセージも同じだったので二人とも驚きでした。本当に見えるんだーってね。

私が9年続けてきたのは、自分の歩んでいる道を確認する意味としてが大きいです。

自分が感じているそのままが、オーラ診断に現れるのでうれしいです。

アカシックや守護霊さんそしてオーラソーマ、結局どれも、生きるためのガイドであり、潜在意識の私でもある。ってことです。

守護霊さんは、今の状況やその解決策、そしていつも一歩先を見ています。オーラソーマでも「潜在意識は知っている」って表現します。それと同じだと思います。

今年の初め守護霊さんの言葉に、「人を癒すのにまず言葉を学びなさい」みたいなこと言われていた私、「オーラソーマは言葉だから、まーそうだけど・・・」みたいに思っていたのですが

その結果が今、こんなにブログを書くはめになっているーー驚きだーー

書くとは、ことばを紡ぎ出すこと。

それは、魂の言葉でなくてはならない。

いかに、自分が感じていることを、人に理解してもらえる言葉として表現できるか、

今、その課題に入ったようなのです。

やはり、守護霊さんの言う通り、または私の叡智である潜在意識の言う通り、なるようになって行くのである。そして、書く行為は自分をあぶり出し、気付かないものを気づかせてくれる。

8年前の日記を読みながら、あらためて書くことの意味を実感している私です。

だって・・・、

えー!、あの時すでに気づいていたんだーーって、今頃気づくわ・た・し・です。

最後に、Sachiさんは決してネガティブなことを言わない方です。どんなときもプラスで前向きな言葉しか使わない方です。それはとても暖かいエネルギーを感じていました。

ご興味のある方、上のHPをどうぞ、今は2000円だと思います。

ちなみに、今の私のオーラは内側緑、外側紫です(^◇^)